山と家族

元JW2世が過去を消化する記録

父と母への手紙(2)

ある夜
お父さんと一緒にお風呂にはいったとき
赤く青くベルトの跡がのこるおしりをみてぎょっとした顔をしたけど何も言わなかった
その時の私の絶望感は、こうして文字にして伝えることはできても
決して分かりえないでしょう。

母も私のことをあまり愛せなかったんだろうなと思い出した、とある出来事がある

引っ越しをする少し前
何かで母をまた激怒させた
前夜、猫を拾ってきた妹達に、引っ越すまで飼っていいよという優しい母がもどってきたととてもうれしくて
どうしてもムチが嫌で逃げまわりベッドのあった奥の部屋へ追い詰められた。

ムチから逃げた私にいつも以上に激高した母はキンチョールのスプレー缶を投げつた。
足首に当たり血が流れだした。
けがをしたといっても母は怒鳴り続けている
やっと怒鳴られるのが終わり母はどこかへいった
でもきっと母は心配して戻ってきてくれる。そしてごめんねと言ってくれる
と期待しながら古い木の救急箱から絆創膏を探すけどなかなか見つからず
すでに乾いた地の上からさらに血が流れ
ティッシュで拭いてもとれない。
傷のめくれた皮をもとに戻し、やっと見つけた絆創膏をはる。
そして母は戻ってこなかった
優しい母は妹たちに対してだと理解した。でもjwだからこの家にいられる
母に私の母であってくれることを感謝しないといけないと考えた

 

こうした日々で作られた母との関係の上に
中学生以降は私も理解できないものが加わります
会衆内の愚痴、ほかの兄弟姉妹のうわさや悪口はまだよいほう
ある姉妹と未信者の夫のアナルセックスや性病をきかされたり
なぜか怒られながら性教育をうけたり
ある研究生はずっと夫と夫婦生活がないってことをきかされたり
なぜか「奉仕時間にならないのにあなたと研究してあげるのよ」と夜中に起こされ
怒られながら研究したり

こうして20歳に私は母とこの環境から逃げるため、自由のためjwをやめました。
自分で、安心で安全な場所を得ることができました。

 

しかしこのように育つとその後も同じように傷つけられることに気付かずにいます
「やっぱりうまれつきヤギだったのね」
「3人とも同じように育てたのに、あなただけどうしてこうなったのかしら」
「がんができるのはストレスって、あなたが断絶したストレスが原因よ」
「あなたの断絶のせいでずっとまだ正規ができないのよ」
「あなたの子は悪い影響だから鹿児島にはこないで」
「あなたの子に質問していろいろ聞いたけど悪霊がついていると思う」
「ほんと、家を出るときお父さんにお金をだしてもらうなんて・・・っていつも話すのよ」
「妹たちは、お姉ちゃんは私たちを捨てたんだって恨んでいるわよ」
「あなたのせいで、おとうさんはjwにならないって」
お母さん、なぜいまでも私を言葉できずつけるのでしょうか。

 

子供を持つ親になって
子供を大切にする
それは体も心も大切に扱う。
それが親の一番の務めだとわかったとき
では自分はどう扱われたのかを思い出します。


jwにもどるなら
幼い消えてしまいたいと願っていた子供時代の私を、こんどは私自身が見捨てることになる。
jwにもどるなら悔い改めが必要です。
では私に何を悔いあらためるようにと話しますか?
悔い改めるのは私なのでしょうか

 

お母さんは決して私を虐待したわけではない、
ハルマゲドンが近いと信じ、楽園へ行くためだったことを頭では理解しています
お父さんも助けてくれなかったわけではないと十分に理解しています。
お父さん自身もつらかった日々だろうと想像します
しかしいまだに変われないでいるお母さん
妹が長老の妻であるとか、特別開拓者だとか
子供がどれだけ特権を得ているかで、組織内の位置を評価している?
それは真の信仰ではないと30年前に気付いたとおもったのだけど
私が何も言わず、反論もせず、
お母さんが「あなたにひどいことをしたとおもっているの」といえば
「うらんでいないからいいよ」とうそをつく私のせいでしょう、
「あのころ組織がそうだったから」と、確かに組織が悪いけれど
責任を組織に転嫁するのも間違っています。

ささいなことでもムチで打ちたたいたのに、それ以上の悪ではないですか?


虐待が心に癒えない傷を与え
その後の人生に多大な影響を残すことを知ってもらえたでしょうか。
これらの記憶は鮮明に今でも蘇り私に襲い掛かり涙がただ流れトラウマの苦しみをあたえます。
親が大好きなのに、殺したいほど憎むという正反対の感情の苦しみを与えます。
これを消すため、30年間jwのことを封印し考えずにいました。
そして来年からもまた封印します。
私には大切で愛するお父さんとお母さんだからです。


そして唯一の希望は
妹たち、が私とは違う幸せな子供時代を過ごしていただろうと予想できることです。
ふたりがもし私以上につらかったのなら、私は何も助けてあげられなかった。申し訳ない。


お母さんから妹1と暮らす予定であることをききました
妹1には感謝しています。

30年前に私が家から出るためにお父さんから出してもらったお金には本当に感謝しています。

私が親孝行できることは限られていますが
返事はいりませんので、また手紙を書きます。(もう苦しめるような内容の手紙はかきません)

お父さん、よい兄弟になってください
応援しています。そして健康でいてください。
おかあさん、
おばあちゃん、おじさんがなくなりお悔みも言えずごめんなさい
どうぞ体に気を付けてください。

 

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これで私にとってjwの整理がついたかな